フリースクールに通うようになって生き生きした。
―お子さんがラシーナに通うようになってから何か変化はありましたか?
豪さん:小学校どう??と娘に聞いても「普通」と答えていました。
悪口をあまり言いたくない娘にとって「普通」という言葉は嫌だという意味を表しています。
保育園では色々な体験をしていたのにと思いました。
でもフリースクールに通うようになってから生き生きしました。
―豪さん自身、何か変化はありますか?
豪さん:学校について関心を持てるようになったことです。
色々なところで活動する市民もいて、優しさにあふれる時代になってきて。貧困などに対して働く人たちがいる世の中で、学校も昔より良くなっていると思っていました。
だから学校には自由がないとは思っていなかった。娘が不登校になるまでそこに関心を持てていなかったです。
学校について勉強が出来てよかったです。
教育機会確保法があるけれど、学校は学校以外のところと連携したりしているのかな。
―お子さんが不登校になって悩んだことはありますか?
豪さん:母親と二人でいつまでも家にずっといるのは無理だし、どうなるか心配していました。
そんな中で学童の先生に、学校に行かないと学童にいけないのかと杏子と一緒に話をしに行ったりしました。
―学童以外の居場所を探すことになったのですね。豪さん自身はお子さんが不登校になって、どのように思っていたのですか?
豪さん:僕は学校が一番安心でいいと思っていました。
自分でやることを決めていくサドベリースクールは自分の娘には厳しいなと思っていたので。
それに学校に通うのが一番安いと思ったし、僕は塾に行かなかったので娘も自分で勉強したらいけるかと思っていました。
―フリースクール以外の居場所も検討されていたのですね。見学などはされましたか?
豪さん:4月中は関西にあるサドベリースクールを見学しました。
そのスクールは自分の好きなことをしても良いという環境だったので、ずっとゲームをしている子がいて。ゲームは怖いなと思いました。
僕自身もともとゲーマーで高校の時はPC部に入っていました。パソコンでやっていたので画面が近くて目が悪くなったんです。
そのスクールではゲームをしている子が多かったのでそのスクールに行きたいと言われたら考えないといけないなと思いました。
それに、うちの娘にとって自分で意見を出すというのは厳しいと思いました。
―フリースクールはどこで知ったのですか?
豪さん:フリースクールは知らなかったです。
杏子が調べてきて、それで知りました。「そんなん、あるんや。」と思いました。杏子が興味を持っていたので。