何とか学校に行けるようになってほしい。
そう思っていたお父さんの気持ちが変化した経緯は?
前回は奥さんの杏子さんにお子さんが不登校になった経緯についてインタビューをさせていただきました。豪さんにはお子さんが不登校になって感じたことについてお話を伺いしたいと思います。
―お子さんとよく漫才をすると伺ったのですが、どうしてお子さんはお笑い好きになったのですか。
豪さん:私が漫才や笑点が好きで、小さいころからテレビでお笑いを一緒に見ていたのがきっかけですね。
漫才のネタはいつも2人でアイデアを出し合いながら考えています。ほうっておいたらネタが変な方向に向かうので、少し見たてをしています。
―普段お子さんとはどのように過ごしていますか。
豪さん:そうですね。普段は一緒にテレビを見ていることが多いですね。他にはトランプやボードゲームをして過ごしています。
最近は仕事で帰りが遅いので一緒に遊ばなくなりましたが、代わりに娘のお友達がよく遊びに来てくれます。
―お子さんが学校に行きたくないと知った時どのように感じましたか?
豪さん:僕自身は学校が好きだからなぜ子どもが学校に行きたくないのか「わからん!」と思っていました。
何とか学校に行けるようになってほしい。でも頑固だから「いや!」と言ったら、いやなのだろうなと思いました。
―杏子さんはお子さんが不登校になった時どんな様子でしたか?
豪さん:杏子は子どもに学校へ行くことを促したりしませんでした。杏子が学校以外の居場所を探し、子どものために色々動いている姿を見て、「子どもにとってはそのほうがええんかな?」と思いました。
4月22日の先生の授業を見てうちの子どもが学校へ行くのは厳しいと思いました。今の学校の様子がよく分かりました。
でも僕は子どもの頃学校に行くのが楽しかったから、娘にも学校に行ってほしいなと思ったのが正直なところでした。
―杏子さんから学校に行きたくないという気持ちを受け止められないのは豪さんが病気だったことも関係あるのではないかと伺いました。
豪さん:僕は昔難病で幼稚園の年長の秋から10ヶ月くらい入院していました。
幸いにも院内学級があったので勉強は問題なかったけれど。年長から小学2年生、6年生と入院生活を送りました。
―入院している間は院内学校など学校以外の居場所はありましたか?
豪さん:病院の中に泉北養護学校という小学、中学生の体が動かない子のための学校がありました。
入院中はそこにある少人数学級で勉強を教えてもらいました。
院内学校もいいけど、学校に通えるようになった時は「やっと普通に学校に通える。」と思いました。
―学校が好きだったのですね。杏子さんの行動や考えについてはどう思いましたか?またどのようにして自分自身の気持ちに折り合いをつけたのですか?
豪さん:初めは校長先生とお話したらお互いに子どもの状況について理解しあえると思ったけど、実際に話をしてみると話が噛み合わなくて。
中々難しいなと思いました。
学校の中で新人の先生のフォローがあるのかもわからない。
僕よりも先に杏子は肌で感じたのかなと思いました。
僕は理解するのが遅いかな。
豪さん:僕は小さいころから人の気持ちがわからなくて。
昔、弟が僕に勉強を教えて欲しいと言ってきたことがあって。
でも僕は弟に「学校も行かんと、何が勉強やねん。」と言ってしまって。
「つぶしてしまった。」と思いました。
僕は人の気持ちがわからない。娘のこととは関係ないけれど、そのエピソードを思い出します。
―豪さん自身は娘さんが不登校になって、自分の気持ちを吐き出せる環境はありましたか?
豪さん:昨年(2018年)教育について語る集いがあり、そこに参加しました。
組合の役員をしている現地実行委員の元小学校校長に娘が学校に行っていないことや今の学校は型にハマっていることなどを話したときに共感してもらえました。
今年(2019年)2月と9月にもまたその先生に不登校についてのお話を聞きました。いい先生だと思いました。その過程があって気持ちの整理が出来ました。